05 陰性症状からの脱却(大学)

21才の夏、バイトと友だち以外に、大地は新しい一歩を踏み出すことに挑戦することにした。(というと大げさなようだけれど)

「大学にいこうかな…」と言い始めたのだ。

発症後、「バイトする」「一人暮らしする」「車の免許取る」などなど言うことはあったが、これは陽性症状だったのだと今はわかる。

薬が効いてきたためか、陽性症状があまり出なくなると、あれほど「なんで免許とったらダメなんだよ!!」などなど強い口調で言っていたのに、結局何もしなかった。できなかった。陰性症状が酷くて、寝てばかりの生活になったから。今度は、やりたいことなど何も思い浮かばなくなった。「なんでもいいんだよ、やりたいことない?」と聞く私に、「ない」「別に」と答えていた大地。

けれど発症から3年半、その間に、少しづつ、本当に少しづつ、友だちと遊べるようになり、バイトも始め、大学進学を考えるようになった。

そもそも発症前の高2の大地は、大学進学を希望していた。希望は警察官ではなかった。

だから、妄想であることに気が付いたのかと、追走妄想もなくなったのかと一瞬嬉しかったが、「高卒で警察官になるより、大卒で(警察官試験を)受けた方がいいんじゃね?」

これは、たぶんバイト先のケイくんとか大学生たちの影響かもしれない。大学生活が楽しそうに思えたのかもしれない。

理由は何であれ、大地がやりたいと思う意欲は大切にしなければならない。とはいえ、大学は4年間ある。「めんどくさい」が口癖の大地が4年間も大学に通い続けることができるだろうか。大学が好きな勉強であったり、何かの目標がないと厳しいのではないか。。。

不安はあったものの、この夏、オープンキャンパスや大学の説明会、さらに塾の体験夏季講習など行くようになった。

この頃の大地は、オープンキャンパスに行ってはみても、模擬授業は寝てしまい、説明会は大あくび。キャンパスツアーも大して興味もなさそうだった。塾の体験夏季講習は、さっぱりわからなかったと。表情もまだまだかたくて、目に光がない。そんな感じだった。

結局、自宅から近いところで入れそうなところ。勉強内容が、嫌ではないという程度。で選ぶことになった。大学には随分申し訳ない生徒である。

こんな程度では4年間続けられないんじゃないか?大学だって、ただではない。高い授業料を支払って、中退になったらどうしよう。そんな考えも親としては当たり前だけどよぎった。もし辞めたくなったら?新しい環境になじめなかったら?再発したら?

そこで私は大学を、自分の中で社会復帰までのリハビリなのだと位置づけることにした。

そう思えば、お高いけれど意味がある。途中で行けなくなっても仕方がないと思える。社会に出るまで、自立するまでの準備期間が4年間あるのだと、そう思うことにした。

ずいぶん気持ちが楽になった。

それから大地は、希望の大学から勧められたAO入試で受験した。AO入試の課題や作文を何回も書き直しては覚え、その冬、合格することができた。

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